「岡本行夫氏が死去」
5月8日の朝刊で知りました。
驚きとともに、とても悲しい感情に包まれた朝となりました。
岡本さんは私に
「沖縄をどうするのか」という事を、言葉で、そして行動で教えて下さった方でした。
岡本さんとの出会いは1996年に設立された
「沖縄米軍基地所在市町村に関する懇談会(沖縄懇談会)」(通所:島田懇談会)でした。
島田懇談会は、前年に起きた忌まわしい事件をきっかけに、日本国と米国が真剣に沖縄の基地被害を改善しよう、との思いから発足しました。
その中で、国と沖縄県の意見が合わず、結果的に「国と25市町村」が直接話し合う、という異例なものになり、その中で生まれたのが
「チーム未来」という組織でした。
(財)九州経済調査協会(福岡市)の出向から戻ってきた私にも、地元嘉手納町から依頼があり
、「チーム未来嘉手納」のメンバーになりました。
発足時期も予算規模のそれぞれ異なる25市町村の結束を図ろうと、座長の島田晴雄慶応大学教授や岡本さんの発案で、平成11年(1999年)12月18日
「チーム未来大会」を行いました。
当時、沖縄銀行に勤めていた私に
「大会事務局長」の任を拝命して頂いたのが岡本さんでした。
様々な問題がありました。
時として本店前に街宣車が来たこともありました。
脅迫めいた電話も度々かかってきました。
その影響で会場も当初予定していた「沖縄国際大学」(宜野湾市)から「名桜大学」(名護市)に変更にもなりました。
それでも大会を成功させるべく、何度も上京して、内閣府で調整行う中で、島田先生や岡本さんにご教示頂きました。
今でもハッキリ覚えていることの1つとして、大会当日の風景があります。
嫌がらせや妨害工作なども予測されるなか、大会に参加される多くの要人の方は警護の方と一緒にお越しになるのですが、岡本さんは秘書の方とレンタカーで来られました。
その姿が私にとって
「かっこよかった」のです。
チーム未来解散後も色々な所で個人的にお世話になりました。
チーム未来への参加が、岡本さんや、島田先生、唐津先生、梶山先生、足立事務次官などといった、その当時、この国を代表する方々との時間が、レポートだけの「経済調査、地域調査」の私を、「街づくりのための分析」に向かわせたのだと思います。
あれから20年余り。
私は、私が出会ったときの岡本さんの年を超えた56歳になりました。
あのようにかっこよく、そしてぶれない人間になりたい、今改めてと心から願います。
うす曇りの沖縄から岡本先輩のご冥福を心からお祈りいたします。 合掌
今日のカード(2020.05.08)
〇KAERU CARD
「Fulfillment」 達成 21
達成は目の前、ここでちょっと一呼吸!
自分か肯定的なエネルギーを流し続けているかをチェックして。
冷静さがあなたの次の行動を実らせる。
〇ULTRA ACTION 64
「以心、発信、伝心」
自分の心が相手に伝わるのを、何もしないで待っていたら時間がかかるし誤解も多い。
思ったことを言葉にのせて表現し伝えることを習慣づけよう。
今日は一番身近な人に、日ごろの感謝の気持ちを口に出して伝えてみよう。
〇Gaia Cards
「情報量に注意」
本音で生きるには、情報量を集め過ぎないこと。
必要な情報は必要なときに、必要な分だけ入ってくる。
Excess information confuses more than clarifies.