2022年03月08日

13回忌を迎えて


今年も「3月7日」を迎えました。

この日は私の人生を導いてくれた方の命日です。
不思議な出会いでした。

米国から戻り、父親の建設会社でアルバイトをお願いすると、ある方の選挙事務所へ派遣され、そこで出会いました。
その当時のイメージは「小柄ながらもエネルギッシュな方」というものでした。
それから私は銀行に入行して約10年の時を経て再会しましたが、その面影は多く残っていませんでした。

坊主頭を手で撫でながら眼鏡越しの優しい眼差しは今でも忘れることができません。
起業したものの美里の許可が下りず、もんもんとした時間を持て余していた時に、義母の声掛けで毎週火曜日14時から15時まで社長室へ訪ねていきました。

当時社長が計画していた「温泉ファミリーパーク」の事業計画の数字確認や作成などをお手伝いしながら、私の夢「カシータ」のお話に耳を傾けて頂きました。
回を重ねるうちに「温泉」から「カシータ」に社長の夢が変わっていきました。

ある日「津嘉山も宮里くんが使ったらいい」と言われました。
「美里の許可も下りていません」と言うと、「君ならできる」と一言。

美里の許可が下りたことを報告にいくと、特有の笑顔で「おめでとう」と言って頂きました。
矢継ぎ早に「津嘉山はいつやる」という言葉に戸惑いながらも、出会った時の社長の雰囲気を感じました。

美里の開業から数年して沖縄県から介護付き有料老人ホーム(特定施設)の公募がでたので、エントリーの許可をもらいに行くと、社長は県外のお坊さんの学校に行っていました。

「複数事業者が手を挙げると思いますので、絶対できるとは言えません」と伝えると、電話越しでしたが以前同様に「君ならできる」と言われました。

翌年の1月末に朗報を社長にお伝えすると、我がことのように喜んで頂きました。
「今度娘の高校の卒業式には戻るからその時にお祝いしよう」と言われた電話が、私が聞く最後の言葉になってしまいました。

愛娘の卒業式から6日後の3月7日に旅立たれました。享年66歳でした。

色々なことがありましたが、津嘉山の杜ヒルトップカシータ、デイサービスカシータも今年6月には10年目を迎えます。

一昨年には社長が愛した「津嘉山森」(つかざんむい)の整備をスタートしました。

荒れ果て、多数の不法投棄があった場所を自ら片付け、重機を操り植栽をしていたその場所が、今では初日の出に近隣の方々が訪れる場所になりました。

きっと見てくれていると思いますが、はやり元気な姿でみてほしかったです。
褒めてほしかったです。
一緒に整備をしながら、夢を語り合いたかったです。

佐久田社長 本当に出会えたこと、そして私を信じてくれたことに心から感謝いたします。
そして佐久田社長が見ていた夢のお手伝いをできるように志をもって頑張っていきます。

そんな気持ちを感じた2022年3月7日でした。

13回忌を迎えて







Posted by mkei at 11:21│Comments(0)
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