2013年05月03日
53回目の記念日です
2月以来の投稿になります。
今日「5月3日」は私の両親の「53回目」の結婚記念日です。
しかし例年と違い、今年は母がいない記念日になってしましました。
2月23日に母が光の国へ旅立ちました。 享年81歳でした。
その別れは突然訪れました。
ほんの数時間前までいつも通りの元気な母がいました。
残念ながら私は母の最期に間に合いませんでしたが、母はきっと許してくれると思います。
「頑張るんだよ、はじめちゃん」と。
四十九日の法要も終わり、無事に納骨もすませました。
母が眠るその墓は2007年5月3日、海の見える場所に母が大好きな父親と一緒に建立したものです。
まだまだ私の心の中にさざ波がおこります。 突然涙が溢れてきます。
それだけ私にとって母の存在が大きかったからだと思います。
以下の文は今日の新聞に忌明けのご挨拶として載せたものです。
父親の亡き母に対する思いや深い愛情が感じられます。
「 先般宮里和子の葬儀に際し御鄭重なる御焼香 御供花 御弔電を賜り有難くお礼申し上げます
故人は台湾生まれらしく大らかな性格で皆様方から愛され素晴らしい人生でした
今も屈託のない笑顔で皆様方の御芳情に感謝の辞を述べている事でしょう
忌明けにあたり早速拝眉の上御礼申し上げるべきでございますが
略式ながら紙面をもちまして生前の御厚誼に対して
深甚なる感謝の辞を申し上げ謹んでお礼申し上げます
平成25年5月3日 喪主夫 宮里喜信 」
午後から父親と一緒に母の眠る墓前に挨拶に行ってきます。
今日「5月3日」は私の両親の「53回目」の結婚記念日です。
しかし例年と違い、今年は母がいない記念日になってしましました。
2月23日に母が光の国へ旅立ちました。 享年81歳でした。
その別れは突然訪れました。
ほんの数時間前までいつも通りの元気な母がいました。
残念ながら私は母の最期に間に合いませんでしたが、母はきっと許してくれると思います。
「頑張るんだよ、はじめちゃん」と。
四十九日の法要も終わり、無事に納骨もすませました。
母が眠るその墓は2007年5月3日、海の見える場所に母が大好きな父親と一緒に建立したものです。
まだまだ私の心の中にさざ波がおこります。 突然涙が溢れてきます。
それだけ私にとって母の存在が大きかったからだと思います。
以下の文は今日の新聞に忌明けのご挨拶として載せたものです。
父親の亡き母に対する思いや深い愛情が感じられます。
「 先般宮里和子の葬儀に際し御鄭重なる御焼香 御供花 御弔電を賜り有難くお礼申し上げます
故人は台湾生まれらしく大らかな性格で皆様方から愛され素晴らしい人生でした
今も屈託のない笑顔で皆様方の御芳情に感謝の辞を述べている事でしょう
忌明けにあたり早速拝眉の上御礼申し上げるべきでございますが
略式ながら紙面をもちまして生前の御厚誼に対して
深甚なる感謝の辞を申し上げ謹んでお礼申し上げます
平成25年5月3日 喪主夫 宮里喜信 」
午後から父親と一緒に母の眠る墓前に挨拶に行ってきます。
Posted by mkei at 12:03│Comments(0)
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